いのちの尊さと平和を考える旅 2日目 知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)
私が知覧を知ったのは中学生の頃だったと記憶しています。授業か何かで戦争を学んだ時に「神風特攻隊(神風はしんぷうと読むそうです)の事を知りました。その当時はお国のために敵艦隊に飛行機ごと突っ込み最期を迎える事実があった程度にしか感じていなかったように思います。しかし大人になるにつれ戦争の事を見聞きしていくうちに興味を持つようになりました。
主に10代の若者が自ら臨んで特攻隊を志願しその殆どが帰らぬ命だった事。その隊員達を取り巻く家族や戦争の背景。出撃前にそれぞれが遺書をしたためた事等々私の中でとても興味深い場所となったのが鹿児島県知覧でした。関東在住の身にとって鹿児島県は遥か彼方の地。いつか行ってみたい思いとは裏腹に時は過ぎて行きました。
今回こころ旅平和編を企画した時に真っ先に浮かんだ場所が知覧でした。特に歴史に詳しいわけでもなく、普段何か行動を起こしているわけでもなくだた第二次世界大戦当時純粋な若者達が天皇のため、お国のために散っていった気持ちはどのようなものだったのかその真実を私はどうしても知りたくなったのでした。
こころ旅2日目フェリーは鹿児島志布志港入港しました。歌手長渕剛さんの出身地として知られ歌の中でも登場する錦江湾に望む桜島を横目に桜島フェリーから鹿児島市街地を経て進路は南九州市へ。
天候は青空に恵まれ終日最高のツーリング日和。南九州市知覧町に向かう前に薩摩富士開聞岳(924m)が綺麗な日本最南端の駅「西大山駅」に立ち寄りました。ここは以前JRのポスターにもなった場所なのでご存じの方も多いかもしれません。この時日本最南端のから見る美しい開聞岳が悲惨な歴史を見つめていたとは想像も出来ませんでした。
午後3時前「知覧特攻平和会館」に到着。静かな街並みに溶け込むように知覧平和公園内にそれはありました。季節はちょうど桜が散り新緑が芽吹く頃。公園内の噴水池に花筏がありました。水面に浮かぶ桜の花びらと散っていった若い命とが重なり見えてしまいました。
館内は撮影禁止のため写真でのご紹介は出来ませんがとても広くシンプルにまとめられていました。特筆すべき展示は特攻隊隊員の生前写真と出撃前にしたためられた遺書です。それぞれ大切な人に宛てたその遺書は現物のまま展示されています。両親、兄妹、婚約者、実子などもう二度と会えない事を覚悟した文面は悲しくも清々しいものでした。
・「皆さんお幸せに!お母さん強くなった私を褒めてやって下さい。敵艦を沈めて参ります。」
・幼い実子が読めるようにひらがなで遺書を書いた隊員、「おかあさんのいうことをきいてりっぱなひとになりなさい。そしておかあさんをたすけてあげてください。ちちはいつもみなをみています。」
・婚約者に宛てた遺書には、「私の事は忘れて幸せになって下さい。貴女のご両親、ご兄弟にはとても良くしてもらい感謝しています。ありがとう。さようなら。」 等々
現物のまま残された遺書は一つひとつ想いの詰まった立派なものでした。主に10代後半から20代前半の若者が出撃の直前に書いた遺書。閲覧していると目の前の遺書が自然と涙で滲んで来ます。一体どんな気持ちで遺書をしたためたのか、平和な日本に生きている私にはとても想像が出来ませんでした。終戦から何十年が経った今も海の向こうでは悲惨な戦争が行われ、歴史から学ばず同じことを繰り返している事に散っていった若者の命の尊さに申し訳ない気持ちになりました。
私がずっと訪れてみたかった知覧特攻平和会館。実際に見た様々な景色はとても感慨深いものでした。今回のこころ旅平和編で一番最初に訪れる場所にした知覧。平和とは…を考えるきっかけを得ました。3日目以降長崎・広島を見て何を感じたのか続編に記したいと思います。
実際に足を運んで触れて見る大切さを実感した一日でした。
三角兵舎:特攻出撃前に過ごした宿舎。敵に見つからないように森の中で半地下構造になっています。
知覧特攻平和会館敷地内に展示されている飛行機。
若き特攻隊員の遺書